「今日もボンクラ部長、管理人に当たり強かったよね」
洗面所の鏡を見つめながら、チェンは眉間に皺を寄せた。そして、自慢の長い黒髪を乾かしてくれるペリカに向かって、ドライヤーの音に負けないよう少しだけ大きめの声で言う。
「ボーン・クラッシャー部長よ、チェン。悪口を言いたくなる気持ちもわかるけれど、一応上司なのだから。本当に、悪口はいくらでも言いたくなるのだけれどね」
ペリカはチェンの髪にドライヤーを当てながら、念押しするように続けた。そこに明らかに不満を乗せている辺り、ペリカ自身もだいぶ上司を嫌っているのだろう。
「えー、でも普段から仕事してないじゃん、ボンクラ部長。今日のだって先方のミスなのに、なんで管理人が怒られなきゃいけなかったの?」
「それは、直接ボンクラ部長に聞きなさい」
いつの間にか悪口に加担していることは、お互い気にしていないようだ。ペリカはドライヤーを止めると、ピンク色のボトルを手に取る。何度かポンプを押すと、乳白色のトリートメントが手のひらに落ちた。両手に馴染ませてから、目の前にある乾いた長い髪へ指を通す。毛先からゆっくりと少しずつ、丁寧に塗り込んでいく。
「でも、昔の管理人だったら、重攻撃かましてるところだよね」
チェンの言葉に、髪を撫でていたペリカの手が止まる。ドライヤーの音もしなくなった洗面所は、やけに静かだ。ペリカは長い睫毛を少しだけ伏せてから、櫛に手を伸ばした。トリートメントを細部まで行きわたらせるように、チェンの黒髪を丁寧に梳いていく。
「そうね。でも今は、昔の管理人ではないもの」
それに、この世界も。小さく付け加えてから、ペリカは髪の手入れが終わった合図に、チェンの肩を軽く叩いた。
「……やっぱり管理人、記憶ないと思う?」
手入れをしてもらった髪に触れながら、チェンは振り返った。ペリカは視線を落としたまま、手入れ道具を片づけている。
「そうね。あの感じでは、また……」
「教えてあげた方が、いいのかな」
チェンの言葉に、ペリカは視線を上げた。眉を下げながらこちらを見つめてくるチェンに、どう答えていいかわからない。こんなちぐはぐな世界で出会ったかつての仲間たちは、それぞれに与えられた道を生きている。しかし、組織で共に働く管理人の様子からして、自分たちと同じように記憶を持っているとは思えない。恋人の話をしていたときの様子からしても、管理人はこの世界の記憶の中だけで、穏やかに生きているようだ。
「ゆくゆくは、伝えることになるでしょうけれど……今はまだ、その時ではないのかもしれないわね」
その声は、思っていたよりも沈んでいたようだ。チェンは少しだけ身を乗り出すと、ペリカの白百合色の前髪を指でそっと上げ、露になった額に唇を押し当てた。
「ごめん、なんか辛気臭くしちゃったから」
「だからって、いきなりっ……」
綺麗な空色の瞳を丸くしながら見つめてくるペリカを、チェンはそのまま抱きしめた。
「大丈夫。この世界なら、きっとみんなで幸せになれるよ」
この根拠のない自信はどこから来るのだろうか。それでも、その言葉に何度救われたかわからない。まるで子供をあやすように撫でてくれる手が心地いい。ペリカは応えるように控えめに伸ばした手で、お揃いのパジャマを少しだけ掴んだ。