管理人は、お揃いのマグカップを乗せたトレイを手に、ウルフガードの部屋の前に立った。軽くドアをノックすると、すぐに中から扉が開く。
「お茶を淹れてきたんだけど、仕事の邪魔だったかな…?」
「いや。そろそろ休憩しようと思っていたところだ」
ウルフガードはそう言って管理人を部屋へ通すと、扉を閉めた。管理人はベッドサイドにトレイを置き、マグカップのひとつを手に取る。作業机へ戻ったウルフガードの手元にそのカップを置けば、ちらりと大きなモニターへ視線を向けてから、すぐに目を逸らした。コンプライアンスを考えると、仕事の画面を勝手に見てはいけない気がした。管理人はもうひとつのマグカップを持ってから、そそくさとウルフガードのベッドへ向かった。マットレスに腰掛け、湯気の立つお茶に何度か息を吹きかけてから、ゆっくりと口をつける。チェンに勧められて買った武陵産のお茶は、渋みが少ない。それでいて茶葉のコクはしっかりと残っていて、独特な香りがあるのに飲みやすかった。温かさが喉を通っていく。管理人はマグカップを両手で包みながら、作業を続けるウルフガードの背中を眺めた。広い肩。画面に向かう横顔。キーボードに触れる指先。見慣れているはずなのに、仕事をしている時の彼は、少しだけ遠く見える。
「……見るか?」
不意に声をかけられ、管理人は何度か瞬きをした。画面を見ないようにしていたことに気づいていたらしい。
「見てもいいの?」
「あぁ。管理人なら構わない」
その言葉に少しだけ胸がくすぐられる。管理人はベッドから立ち上がり、ウルフガードの座る椅子の隣に立った。モニターには、白いタキシードを着た男性と、白いドレスを着た女性が映っていた。二人は周囲の人たちに囲まれ、笑顔で人の輪の中を進んでいく。場面がチャペルに切り替わる。指輪の交換。拍手。柔らかい光。会場名が表示され、最後に建物全体を映した引きの映像で、再生が止まった。
「結婚式場のCM?」
ウルフガードは頷き、マグカップを手に取った。
「絵コンテから編集まで、ほとんど任せるという仕事だったから、思ったより手間がかかった」
「この結婚式の人たちは、役者さん?」
「いや、実際の結婚式だ。演技より、もっと自然な表情を入れたかったんだ」
管理人は止まったままの画面をもう一度見た。画面の中の新郎新婦を見て、一瞬だけ自分と恋人の姿を想像してしまい、すぐに思考を切り替えた。役者ではない二人は、確かに作られたような笑顔ではなく、本当に幸せそうに笑っている。こういう細かなこだわりを入れながら、きちんと求められる形に仕上げる。だから、彼は信頼されているのだろう。管理人は思わず口元を緩めた。
「……君の仕事、僕は好きだな」
ウルフガードの手が、マグカップを持ったまま止まる。
「そうか?」
「うん。クリエイティブだし、君の持っている感性が見えるから」
管理人は、画面からウルフガードへ視線を移した。
「君が見ている世界を、こうやって少しだけ一緒に見られる気がする。それが嬉しいんだ」
ウルフガードは何も言わなかったが、片手で口元を覆い、わずかに俯いた。けれど頭の獣耳は小さく動いていて、大きな尻尾も静かに揺れていた。愛おしいと思った。そう思った時にはもう手が伸びていて、自分よりも深い黒色の髪をそっと撫でた。赤らんだ頬が見え、なんだかこちらまで恥ずかしくなる。管理人はマグカップを作業机に置くと、誤魔化すように両手でウルフガードの髪をわしゃわしゃと撫でた。
「あんまり長居すると、邪魔になっちゃうよね。そろそろ部屋に戻るよ」
そう言って離れようとした瞬間、髪から離した手を掴まれ、強く引かれる。バランスを崩しそうになり、管理人は反射的にウルフガードの肩へ手を置いた。そのまま椅子に座る彼の足を跨ぐような形になり、腰に回された腕にしっかりと抱き寄せられる。こちらを捉えたウルフガードの目は、熱を帯びる恋人のものに変わっていた。その瞳が近づいてきたと気づいた頃には、そっと唇が重なっていた。
「っ……仕事は?」
「今日はもう終わりだ」
短く言い切った唇が、また重なる。作業机に置いたお揃いのマグカップからは、まだ薄く湯気が立っていた。