腕時計型のデバイスを起動する。ホログラムで表示されたチャット画面から、何度目かになるメッセージを送る。幾度と確認しても、自分が送った何通かのメッセージだけがそこに表示されていた。既読になった痕跡もなければ、オンラインになった履歴もない。
『もしこのメッセージを見たら、一言だけでもいいから連絡がほしい』
音信不通になって5日。管理人はウルフガードにメッセージを送ると、深くため息をついた。
四号谷地という場所は、平和と荒廃が共存している。広い空を自由に飛ぶ鳥たちの下で、地上の施設を荒らして回るボーンクラッシャーたちが吠える。タロⅡが誇る自然豊かな土地を救済するために、管理人始めエンドフィールドの面々はこの土地で死力を尽くしていた。暗い日々が続く最中、管理人の胸の奥に一つの花を咲かせたのが、オペレーターの1人であるウルフガードだった。他のオペレーターを信頼していないわけではないが、管理人ゆえの“孤独”という土地に触れられるほどの者はいなかった。同じ孤独という感覚に呼応してだろうか、唯一深部までたどり着いたウルフガードの情愛は、痩せ細っていたその土地をいつの間にか豊かにしていった。そして彼が咲かせた花は、管理人の心の中でウルフガードへの恋慕となって育っている。そんな彼の存在を感じられなくなってからの日々は地獄だった。普段ならどんなに長い期間の任務でも、1〜2日のうちの間に連絡が入る。任務に行っていることがわかっているときは、1ヶ月だって待つことができるのに、連絡が取れないとなると1日も待てない。心配と不安が入り混じるおかげで胸の奥の孤独感が増し、折角豊かさを取り戻していたはずの心の奥が、カラカラに乾いてしまいそうだった。
「…そう言えば」
以前にロッシから、ウルフガードを探す際には「タグ」を探すといいと聞いていた。狼群のお守りのようなものらしい。前にウルフガードを探した際も、スキャンシステムで辿った過去がある。しかし、任務を邪魔するようなことをしてしまったら。しかし、万が一のことがあったとしたら。
「…ペリカ、相談したいことがある」
管理人はペリカに連絡をし、今の四号谷地の最新データをすべて確認してから単独で動く旨を伝えた。端末越しに何かを言うペリカの声を切り、中枢基地を後にした。
「…ここは…」
スキャンシステムでタグを追ってきた先には、見たこともない廃墟があった。ずいぶんと古い建物の前には、劣化して錆びた貨物入れや草木が絡まるコンテナが放置されている。ここまでの道中、動物一匹いなかったあたり、隠し倉庫か何かだったのかもしれない。他の手がかりを探そうとスキャンシステムを起動させる。太い南京錠が壊され半開きになっている扉の前には、薄い痕跡ながらも足跡があった。スキャンシステムが感知できたということは、そう古いものではない。建て付けの悪くなった扉を少し開ける。ギギギと鉄同士が擦り合う嫌な音が響いた。倉庫の中はドアから入る光以外に明かりはなく、中の様子がわかりづらい。思ったよりも奥行きがある散らかった内部へと足を踏み入れれば、暗闇の奥の方から低い唸り声が聞こえた。明らかに獣のような唸り声に、管理人は思わず息を呑むと、意を決して口を開いた。
「…ウルフガード、いるの?」
先ほどまで響いていた唸り声が止まる。どうやら目当ての人物はもう少し奥にいるようだ。
「…管理人、なのか…?」
普段よりも低い声なのは、驚きのせいではないはずだ。明らかに辛そうな様子の愛しい声に、管理人は部屋の奥へと足を進めた。
「…来るな」
しかし奥から聞こえた声は、近づく足音を止めるように言葉を放ってきた。管理人は一瞬足を止めたものの、そのまま奥に続く部屋へと歩いていく。暗闇の中、壊れた天井から少しだけ流れ込む光が照らしていたのは、申し訳程度に敷かれた布と、散らばる少々の食糧缶。そして、敷かれた布に座りながら壁に凭れ掛かるウルフガードの姿だった。
「ウルフガードっ…!」
管理人は明らかに様子のおかしいウルフガードに駆け寄ると目の前に膝をつき、薄暗い部屋の中で彼の様子を探ろうと肩に触れた。
「っ、頼む…近づかないでくれ…!」
触れた手は強い力で払われた。こんなにも強い拒絶を受けたことはない。衝撃で床に尻餅をつけば、ウルフガードはハッとしたように少しだけ体を起こした。
「か、管理人、…」
「大丈夫、ちょっと驚いただけだよ」
余程のことがあったのかもしれない。相手の事情も確認せず突然触れてしまい、びっくりさせてしまったのかもしれない。管理人は再度距離を詰めると、今度は優しく指先だけでウルフガードの腕に触れた。ビクッと体を竦めた後、やはり逃げるように距離を取られる。
「…どこか怪我してる?」
「…違う…」
「なら、具合が悪い?毒を浴びたりした?」
「っ…頼む、出て行ってくれ」
「…僕のこと、嫌いになった?」
あからさまな拒否を示していたウルフガードの反論が止まる。気持ちを試すような真似はずるいとは思いつつ、今のウルフガードの様子を聞き出すには、一番効果が期待できる手法だと思った。
「僕のこと、嫌いになってもいい。でも、どうか…エンドフィールドには戻ってきて欲しい。エンドフィールドには、君みたいな優秀なオペレーターが必要で」
「そんなわけない…!」
続く管理人の言葉を遮るように、ウルフガードが荒っぽく言い返した。声を荒げる相手とは逆に、管理人はホッとしたように小さく息を吐く。そして、ウルフガードの言葉の続きを待つように、暗闇の中でも煌々と光る焔色の瞳を見つめた。
「…好きだから、会えないんだ…今は」
源石リミッター越しにかち合っていたはずの瞳が逸らされてしまう。距離を取るウルフガードに負けじとまた体を寄せれば、今度はきつく抱きしめた。首にしっかりと腕を絡めてくる管理人から逃れることができず、詰まった距離のせいで鼻腔が刺激される。久々の体温と、脳を直接刺激してくる愛しい人の香りのおかげで、ウルフガードは早くなる鼓動を処理できずに荒く呼吸を繰り返した。
「僕も、君のことが好きだ。だから、困っていることがあれば一緒に解決したい。1人で背負い込まなくていいんだ」
誰かに負荷がかかるなら、自分が負荷を引き受ける。ウルフガードのその優しさは、時折彼自身を縛り付ける楔となってしまう。きっと今も、何かを1人で抱え込んでいるに違いない。管理人は優しく何度も髪と柔らかい獣耳を撫でると、ウルフガードは早くなる呼吸を整えようと深呼吸をした。
「…理由、聞かせてくれる?」
呼吸を整えている様子から察するに、理由を話してくれようとしているのかもしれない。間近にあるウルフガードの顔を見つめながら最後のひと押しを伝えたものの、帰ってきたのは突然の荒っぽい口付けだった。今まで受けたことがないような、まるで貪るような口付けに、無意識にウルフガードの肩を押す。しかし彼に力で勝てるはずもなく、簡単に床へと押し倒されてしまった。一頻り貪ってからやっと唇が離れたが、低い音で唸りながら見下ろすその瞳は、獣以外の何者でもなかった。
「…管理人…狼群には、触れちゃいけない期間がある…特に、想いを通わせた相手がいるなら尚更」
目の前でゆっくりと半身を起こしながら吐息混じりに紡がれる言葉に、管理人は息を呑んだ。こちらを見下ろしながら自らの濡れた唇を舐めるシルエットは、まさに捕食者の姿だ。
「今は俺自身の、獣の気が濃くなる時期だ。そういう時は、相手を貪りたくなる。歯止めがきかなくなって、壊すくらいに。俺はお前を傷つけたくない…もう少ししたら落ち着く、だから…」
彼はそう言いながら、口の中に溜まる唾液を何度も飲み込んでいた。上下する喉仏、荒いままの息。そしてきっと、自分の理性を繋ぎ止めるために強く握られた拳。本能が垣間見える姿に、管理人は自分の背筋がぞくぞくと震えるのがわかった。恐怖ではない。これは明らかに、“期待”だ。
「…発情期の狼を受け止めるくらいの覚悟は、あるつもりだよ」
管理人は喉元を覆う自らの服に手をかけると、見せつけるように白い首筋を曝け出した。
「…どうなっても知らないぞ」
ウルフガードは誘われるままに、その白い首筋に顔を埋めた。
どのくらいの時間が経ったのだろう。傍目に映るのは脱ぎ散らかした服と、転がっている源石リミッター。砂っぽい空気と交わる体温が醸し出す湿気に何度か噎せた。交わり続けている後孔がじんじんと痛む。飛びそうになる意識を何度も引き寄せられ、捕食者である彼に体を開くことしかできずにいる管理人は、何度目かわからない絶頂を迎えた。と言っても、もう吐き出せるものもなく、ただ体が生理的に背中を強張らせ、痛む後孔がひたすら中を支配する彼自身を締め付けるだけなのだが。
「っ…きゃとろ…」
嗚咽を漏らしすぎた喉はカラカラになり、声にならない声で目の前にいる彼を呼ぶ。そのおかげかやっと少しの休憩を与えられたようだ。吐き出した精を奥へ奥へと塗りつけるように緩く動いていた目の前にいる彼の動きが止まった。
「管理人…」
耳元で優しく呼ぶと、ウルフガードはそのまま耳元へキスをし、先ほどまでの衝動が嘘のように頬や額にひたすら触れるだけのキスを落とした。それから頬を舐め、舌先で首筋を下っていけば噛み跡だらけのそこへ吸い付く。新しい所有印を残せば、消えないよう念を押すように犬歯を突き立てた。肌の表層が裂け、薄く血が滲む。べろりと赤くなったところを舐めれば、その味が何かのスイッチになったかのように、またウルフガードの体内で熱が暴れ始めた。そして目の前でぐったりとする管理人の細腰を掴み直すと、また内部を抉るように腰を揺らし始める。
「ぁ、あっ…きゃとろっ…まだ、まって…っ」
「発情期の狼をっ、受け止める覚悟が…あるんだろうっ?」
口元に薄く笑みを浮かべながら言うウルフガードを見つめながら、前言撤回だとばかりに管理人は首を横に振った。発情期の狼群はあまりにも危険すぎる。彼が怪我などをしていたわけではなく、発情期のために距離を取っていたのだとわかって安心し、心底余裕ぶっていた自分をぶっ飛ばしてやりたい。何よりも久方ぶりに会えたのが嬉しくて、求められるままに自ら体を預けたことも悪い。しかしそれを考慮しても、物事には限度というものがある。奥を擦られるたびに、こぷっと音を立てて結合部から白濁が漏れてくる。胎内はもう飲み込めないほど、彼の精でいっぱいなのだ。
「っ、んっ…きゃと、ろっ、…」
言いたいことはたくさんあるのに、出てくる言葉はウルフガードを呼ぶ声だけだった。先ほどまでは時間や谷地の状況を頭の片隅で考える余裕があったはずなのに、今はもう管理人としてとか、四号谷地を救うとか、ボーンクラッシャーを排除するとか、そんなことはどこかに消えてしまっていた。ただ一つの個体として、目の前にいる愛しい人を求めるだけだ。頭の中が焼き切れて、与えられる刺激を一身に受け止めるしかない。管理人は力の入らない腕を伸ばすと、筋肉質なその背中に腕を回しながら口を開いた。
「…はっ…もっと、っ…、…」
「っ、管理人…」
どうすれば彼の獣気が落ち着くのかもわからない。もう体は辛いのに、自らもただひたすら彼を求めてしまうのは、最早本能と意地だ。普段の冷静沈着な彼がこんなにも獣染みた姿を晒しているのを、他の誰かに見せるのは嫌だ。そんなことをするくらいなら、死んでも彼のすべてを受け入れる。もうそれ以上お互いを呼び合う余裕もなく、二人はひたすらに貪り合い続けた。
腕時計型のデバイスが何度もなる音がする。通話を所望してくる機械からの振動に気づけば、管理人は手放していた意識を取り戻した。だるい腕を何とか動かそうとしてみたが、思うように動かせず諦めた。体を覆う布に気づいて引っ張り上げると、愛しい人の香りがして、布に鼻先を寄せる。薄く瞳を開ければ薄暗がりながらも赤色が見えて、それが普段ウルフガードの纏っている服だと気づいたが、狭い視界を見渡す限り彼の姿はない。管理人は体を起こそうと試みたが、鉛のようになっている自分の体に抗えず、早々にそれも諦めることにした。チチチっと建物の外から鳥の鳴き声がする。平和な時間だ。先ほどまで発情期の獣よろしく貪りあっていたのに、当の獣本人はどこへ行ったのやら。怒る気力もなく、管理人は体を覆う布をぎゅっと握りしめた。
「…目が覚めたか?」
身動ぐ様子に気づいたのか、足音と共に声が近づいてくる。そのまま隣に腰を下ろすと、管理人の顔を心配そうに覗き込んだ。
「水を調達してきた。飲めるか…?」
当の獣本人が帰ってきたことに安心して、管理人は目元まで覆っていた服から顔を出すと、合わない焦点で必死に声の主を見つめながら頷いた。管理人が頷いたのを見て、ウルフガードは自らの口に水分を含むと、管理人に口付けた。口内に流れ込んでくる水を必死に飲み下す。ゆっくりと唇が離れると、管理人は深く吐息を漏らした。
「…落ち着いた、のかな…?」
漏れる吐息と共に、管理人は小さく尋ねてみた。思った以上に酷い掠れ声だった。薄暗がりでもわかるほど自慢の獣耳を垂らしながら、ウルフガードは深く頷いた。
「こうなるのが嫌で、連絡をしなかったのに…また任務だろうくらいに思っててくれれば、お前も痛い思いをせずに済んだ」
予想通り、独りで解決しようとしていたようだ。項垂れたまま話すウルフガードの言葉に、管理人は小さく首を横に振ってみせた。
「気になるに決まってる…君は一人で何でも抱え込むから、心配だ。それに、せっかく“相棒”になれたんだから、何かあれば相談して欲しい」
管理人は再度床に手をつくと、重たい体を起こそうと試みた。その様子に気づき、ウルフガードの逞しい腕が体を支える。
「…発情期は、どのくらいの周期でくるの?」
はっきりいって、すぐにまたこのような時期が来ては困る。支えてあげたい気持ちはあるものの、実際体が持つ気がしない。ウルフガードは言葉を選ぶように少し間をおくと、ゆっくりと口を開いた。
「初めて、だ…」
「初めて?」
「あぁ…そういうものがあるってことは知っていた。ある程度の年齢になったら来るべき時期にそうなると。周期は個体差があるから、今はなんとも言えない。実際に体験したのは…初めてだからな」
バツが悪いのか恥ずかしいのか。逸らされている目元は少し赤らんでいる。管理人は胸の奥が掴まれるような感覚に思わず自らの胸を押さえると、自然と綻んでしまう口元をそのままに、ウルフガードに体を預けた。
「…そっか、初めてなんだ。嬉しいな」
「こんな目に遭っておいてか?」
拳の一つでも飛んでくることを覚悟していたウルフガードは、怪訝そうに眉を寄せながら腕の中にいる管理人に視線を向けた。
「わからないけど、もし僕と恋仲になったことで誘発されてしまったんだとしたら…こんなに嬉しいことはないよ」
ウルフガードの本能を刺激するような存在になれているとしたら、それこそ彼は一生手離さないでいてくれるのではないか。ただ、やはりすぐにまた発情期が来るのは勘弁してほしいとは思う。そう思いつつも、どんな時期だろうがなんだろうが、彼を受け入れる覚悟はあるのだが。体を支えてくれるウルフガードの手に触れると、大きな手が管理人の手を握り返した。
「変わってるな…」
「君も大概だと思うけど」
チチチッという鳥の声と、風が木を撫でていく音が聞こえる。管理人だとか、狼群だとか、世界の危機とか終末だとか。そんな世界線から切り離された小さな箱庭がそこにはあった。
「キャトロ。また、君がそうなったら…ううん、そうならなくても、ここに籠ろうか」
尋ねられたウルフガードは驚きつつも少し思案してから、言葉で答える代わりにそっと管理人に口付けた。
この荒廃した世界の果てに、二人でまた来よう。壊れた天井の間から、雲一つない澄み切った青い空がこちらを見ていた。