カシャっと乾いた音が中枢基地の広場に響いた。
両手で構えていたレンズをゆっくりと降ろし、遠目に作業をしているオペレーターたちを見る。
レンズ越しではなく、直接見る景色に少しだけ口元を緩ませると、管理人は手元にあるオーリレンカメラに視線を落とした。
「管理人」
後ろから聞こえた声に振り返れば、声の主であるウルフガードがこちらに歩を進めてきた。
「指示された作業は終わった。他になにかやることはあるか?」
そう尋ねながら隣に並んだ彼は、先ほどまで管理人が見つめていたオペレーターたちへと視線を向けた。
機械の修理をしているオペレーターたちは、ああでもないこうでもないと声を上げながら、賑やかに作業を続けている。ウルフガードは決して、あの輪に自分から混ざるようなタイプではない。 それでも、その眼差しにはどこか柔らかさがあった。少し呆れながらも、騒がしい仲間たちを見守っているような目だった。
「ううん、とりあえずは大丈夫だよ。ありがとう」
管理人はそう答えて、またオペレーターたちへ視線を戻した。
ウルフガードの視界の端に、管理人の手元が入った。 その手にある機械に気づくと、彼は少しだけ首を傾けた。
「カメラ?写真が好きなのか?」
ウルフガードの記憶の中に、管理人が写真を撮る姿はなかった。
手元にある機械を指摘されると、管理人は隣にいるウルフガードに顔を向け小さく首を振った。
「そういうわけじゃないんだけど…こういう日常を残しておきたくて。ほら、応接室のプロジェクターで見られるし」
管理人の言葉に、ウルフガードの脳裏にはすぐに応接室の様子が浮かんだ。
部屋の壁ほどある大きさのプロジェクター画面は、主に会議で使われる。
いつの間に写真まで映せるようにしたのか。
それを考えた一瞬の隙に、管理人がカメラのレンズをこちらへ向けていた。
レンズ越しの視線を感じて、ウルフガードは反射的に顔を逸らす。
けれど、シャッター音はしなかった。
「…写真、嫌い?」
嫌がる様子を感じ取ったのか、管理人はすぐにカメラを降ろした。
好き嫌いを考えるほど、興味があるわけではない。
ウルフガードは少しだけ間を置き、またオペレーターたちに視線を戻した。
「好き嫌い、というわけじゃないが…こういうものは、残さない方がいい。ランドブレーカーなんていつ死ぬかわからない。なら…中途半端に形に残す方が、残されたやつの迷惑になるだろ」
その言葉が彼の経験から来るものなのか、彼自身の考え方なのかはわからない。
管理人はウルフガードの言葉を聞きながら、手元にあるカメラに視線を落とした。
「…万が一、ロッシだけが残されるようなことになっても?」
ずるい問いだと思った。
それでも管理人は、唯一の彼の家族の名前を口にした。
レンズ越しでも見えない、彼の奥にある表情が知りたかった。
ウルフガードは一度目を伏せると、その深紅を沈ませた金色の瞳をゆっくりと開いた。
「そうだ…俺が死んだとしても、ロッシにはそんなことを気にしてほしくない。真っ直ぐに、自分の目指す道を進むべきだ。足枷になるようなことはするべきじゃない」
長らく死地にいた者の意見としてはあまりにも真っ当だった。
管理人はその言葉を頭の中で反芻しながら、手元にあるカメラの本体を指先でそっと撫でた。
手に馴染む大きさのそれをもう一度構える。
レンズの向こうでは、オペレーターたちがまだ機械を囲んでいた。
カシャっと乾いた音がして、シャッターが落ちる。
「…僕は、その人がいたことを形で残して欲しいと思うし、自分も残したいと思うよ」
管理人はカメラを降ろすと、視線はオペレーターたちに向けたまま静かに告げた。
自分の意見を押し付けるわけでもなく、否定するでもない声。
管理人の言葉に、ウルフガードは瞳だけを動かすと、管理人を見た。
「かんりにーん!!こっちの機械、なんか壊れちゃってるみたい!ちょっと見てほしいんだけどー!」
遠くからチェンの声が飛んできた。
何かを言いかけた管理人の言葉は、その呼びかけに飲み込まれる。
ぶんぶんと勢いよく手を振りながら叫んでくるチェンに、管理人も小さく手を振り返す。
「あぁ、今行くよ。…あ、そうだ」
駆けだそうとした管理人が一度足を止めると、隣にいるウルフガードにカメラを差し出した。
「ウルフガード、ちょっとだけ持っててくれる?」
差し出さしたカメラをウルフガードが受け取ると、管理人はオペレーターの方へと走り出した。
その様子を見送ってから、ウルフガードは手の中にあるカメラに視線を向ける。
とても簡素な作りだ。
フィルムを入れるタイプらしく、本体に収納する部分がグリップになっている。
管理人の手の中にあるときは程よい大きさに見えていたが、実際に持ってみるとずいぶん小さい。頼りない細さのグリップも、手に馴染まなかった。
「わー!管理人っ、また煙出てるよっ!」
オペレーターたちの中心にある工業用機械から、白い煙が上がっていた。
管理人がいるにも関わらず、珍しく修理に手間取っているようだ。
ウルフガードは片手でカメラを持ち、ファインダーに片目を当てた。
視界の端には数字や文字が並んでいるが、意味はわからない。
管理人が設定したままになっているのか、修理するオペレーターたちの様子全体がまるで切り取られたように、バランスよくフレームの中に入っている。
試しに小さなシャッターボタンを押してみた。
カシャっと乾いた音がした。
きっとフィルムに記録されたのだろうが、どんな画になっているか、今は確認することはできない。
「管理人すごい!機械、動いたよ!」
白い煙が薄れていき、フレームの中は、無事に修理が終わった様子に切り替わった。
他のオペレーターたちの歓声が管理人を包んでいる。
管理人は少しだけ困ったように笑い、ほっと息をついていた。
ウルフガードはもう片方の手でレンズを少し動かした。
視界がわずかに狭まり、管理人の姿が中心に入る。
その表情を見た瞬間、指が勝手に動いた。
カシャ。
一度鳴った音は、思っていたよりも大きく耳に残った。
カシャ。
フィルムに残されていく音がやけに大きく聞こえて、ウルフガードはカメラを降ろし、その手の中にある小さな機械に視線を落とした。
「…残す、か」
ファインダー越しではなくなった管理人の位置は少し遠い。
しかし、カメラを通して見るよりも、距離を感じない気がした。
もう一度だけファインダーを片目に当てると、ウルフガードはシャッターボタンを押した。
数日後、帝江号でのメインデッキの任務に配置換えになったウルフガードは、Bakerに入ってきた指示に従い、メインデッキに向かった。
多くのオペレーターたちが行き交う、帝江号の心臓部分。
メインデッキを歩いていけば、操作用パネルが並ぶ先端部に、ペリカの姿があった。
そこにはもう一人、見慣れないオペレーターの姿もあった。
「…あれから、管理人に代わりはないか?」
見知らぬオペレーターがペリカに尋ねているのが聞こえ、ウルフガードは思わず足を止めた。
「ええ、今のところは…でも、微弱ではあるものの、明らかに源石の影響を受け始めているわ…」
「もう少し頻繁に帝江号に戻った方がいいかな…」
「M3、あなたは他の最高機密任務を担当しているのだから、無理をしないで」
「しかし…次に管理人が眠ったら、同じ”管理人”として目覚める保証は …」
見知らぬオペレーターがこちらに気づいたように言葉を止め、眺めていたパネルから視線を離すと振り返った。
同時に、ペリカの視線もウルフガードに向けられる。
「…ペリカ監察官、今日付けで、ここに配置換えになった。作業の手順を教えてほしい」
ウルフガードは歩み寄りながらできるだけ平静な声で告げた。
隣にいるオペレーターが片手でパネルの表示を切り替えたのがわかったが、見ないふりをした。
「私は失礼するよ」
一言言い残し、オペレーターは踵を返すとメインデッキを後にした。
残されたペリカとウルフガードの間に一瞬の沈黙が走ったが、先に声をかけたのはペリカだった。
先ほどの話はまるでなかったかのように、パネルを操作し始める。
「ウルフガード、配置換えの件は聞いています。あなたにやってほしいことは…」
ペリカは何事もなかったかのように、淡々とメインデッキでの仕事内容を説明し始めた。
聞きたいことは山ほどあったが、立ち聞きしてしまった以上、今ここで問いただせば話が拗れる。
先ほどの話を脳の片隅に追いやろうとしながら、ウルフガードは次々と説明される内容を頭へ入れようとした。
返事のタイミングだけは間違えないよう、短く相槌を打つ。
けれど、説明とともにパネルへ表示される文字の羅列は、まるで意味のない記号にしか見えなかった。
『…僕は、その人がいたことを形で残して欲しいと思うし、自分も残したいと思うよ』
以前、管理人が言っていた言葉を思い出す。
管理人が抱えている事情すべてはわからない。
しかし、なにか管理人の行動を変えるような、こちらが知らない現実が進んでいることは理解できた。
この先に、また記憶喪失を迎えてしまう事実があるのか。
それとも、もっと取り返しのつかないものが待っているのか。
個人的には、どこで死ぬかもわからないのに、何かを残すことに意味はないと思っている。
物への執着心が人よりも薄いせいもあるだろう。
何かを残す意味が余計にわからなかった。
しかし、逆の立場になってみたらどうだろうか。
自分がいなくなることばかりを考えていたが、管理人がいなくなる未来があったとして、何かを残しておいて欲しいと自分は思うのだろうか。
自問自答を繰り返しながら、ウルフガードは中央エリアのベンチで休憩を取っていた。
「ウルフガード」
先ほどまで脳裏にいた人物が視界に入る。
管理人の手には、手よりも幾分か大きいサイズの紙が束になって収まっていた。
ウルフガードの視線が手元に注がれているのに気づくと、管理人は束を見せながら口元を緩ませた。
「久々に四号谷地にいったんだけど、ついでにアンドレイに写真を現像してもらったんだ。部屋で一緒に見ない?」
答えは決まっている。
ウルフガードは小さく頷くと、管理人と共に応接室に向かった。
紙焼きされた写真を投影機の読み取り台に置いてから、管理人はウルフガードが座るソファに近づき、隣に腰かけた。
プロジェクターの大画面に写真と同じ画が映し出される。
端末で投影機を操作すると、大画面のプロジェクターには、先日の四号谷地の写真が表示された。
少しだけ落とされた照明のおかげで、プロジェクターの画面が良く見える。
画面がゆっくりと移ろい、写真が次々に映し出されていく。
「この工業用機械、見てみたらすごく古かったんだ。ちょっと掃除したら使えるかと思ったんだけど、よく見たら配線も直さなきゃいけなかったんだ」
「それは、他のオペレーターじゃ直せないだろ」
写真には、機械を囲んで話をするオペレーターたちの姿が記録されていた。
悩みながらも、みんなで知恵を絞ってなんとかしようとしている。その賑やかさまで、画面の向こうから伝わってくるようだった。
「…管理人、俺は死ぬ時に何かを残したいだなんて、死んでいくやつのただのエゴだと思っている」
流れていく写真を見ながら、ウルフガードが小さく口を開いた。
管理人はプロジェクターの画面を見つめたまま、何も言わなかった。
沈黙の間にも、投影機は淡々と次の写真を映していく。
「でも…そのエゴが悪いとは思っていない」
誰に言うでもなく、独り言に近いものだった。
同時に、先ほどまでオペレーターたちを映していた写真は、中枢基地から撮った四号谷地の景色へと移り変わった。
人工的な建物の先に、荒廃した緑豊かな景色が見える。
空に薄く映る大きな円はタロⅡだ。
相容れないはずの景色の輪郭が滲みあい、四号谷地という場所の一部をそこに残している。
「死ぬときに何かを残したいってことが、死んでいく人のエゴだとしたら…死ぬときに何かを残してほしいっていうのは、生きてる方のエゴになるのかな」
写真が中枢基地の建物へと切り替わる。老朽化が見られ、所々破損している道路や建物の壁。
それでもそこには、四号谷地を復興しようとする人々の姿があった。
「僕はやっぱり…何かを残したいし、残してほしいと思う。君がいなくなることがあろうが、僕がいなくなることがあろうが…それは変わらないかな」
プロジェクターに映る写真が、オペレーターたちの姿へと戻った。
次に切り替わった一枚に、管理人がいた。
オペレーターたちと機械について話をしている。
画面を見た瞬間、管理人の背筋が伸びた。
「うわ、僕が映ってる」
機械を見ながら難しい顔をしている様子。
オペレーターたちに配線の説明をしている様子。
見たこともない自分の姿に気恥ずかしさを感じたのか、管理人は指先で頬を掻いた。
「僕、こんな感じに見えてるんだね…まさか撮ってるなんて思わなかった」
「カメラを渡されたからな…たまたまだ」
ウルフガードは小さく笑うと、プロジェクターに映る管理人を見つめ続けた。
先ほどまで機械を修理していた様子が切り替わる。
オペレーターたちの拍手に囲まれ、少し照れたように笑う管理人が映っていた。
まるでその時の拍手の音まで再現されているような気がして、ウルフガードの獣耳が小さく動く。
「なんだか、自分が映ると恥ずかしいね…」
写真と同じように、管理人は少し照れた表情を浮かべていた。 ウルフガードはその横顔へ視線を向け、目を細める。
「管理人自身が映っていないと、意味がないだろ」
どこか不思議そうな表情を滲ませながら見つめてくる管理人と、リミッター越しに視線が合った気がした。
「…僕自身?」
「あぁ。じゃないと、お前の形を残すことにならない」
管理人は反芻するように、小さく繰り返した。
管理人がなんのために写真を残しているか、本当のところはわからない。
しかし、何かを残したいのなら、その人自身の痕跡をまず残すべきなのではないか。
ウルフガードの言葉に、管理人はプロジェクターに映る自分に視線を戻した。
「そうか…僕が撮ったものだから、僕自身が映っていなくても、僕が残したものって認識だった」
少しだけ納得したように言いながら、管理人はプロジェクターの画面に映る自分自身の姿をじっと見つめていた。
不意にアウターのポケットに手を伸ばすと、管理人はポケットに入れたままだったカメラを取り出した。
そして距離を詰めるように座り直すと、ウルフガードの様子を伺うようにリミッター越しに見上げてきた。
「ウルフガード、僕と写真に写ってほしい」
真剣な声音で告げられ、ウルフガードは小さく息を吐いた。 断れるわけがない。
そのため息に、管理人の肩が少しだけ竦む。
「…だめ、かな?」
「いいぞ、お前と一緒なら」
小さく了承すると、管理人は嬉しそうに口元を緩めた。 カメラのレンズをこちらへ向けながら、さらに体を寄せてくる。
その距離の近さに、ウルフガードの胸の奥がわずかにざわついた。 居心地の悪さとは違う。しかし、どこか落ち着かない。 戸惑ったように、カメラと管理人を交互に見た。
「ほら、ウルフガード。ちゃんとレンズ見て」
管理人に促され、金色の瞳がレンズを捉える。
カシャっと乾いたシャッター音が静かな部屋に響いた。
管理人はカメラを持ち直し、またシャッターを押す。
「…一枚でいいんじゃないか?」
「ファインダーが見えないから、どう映ってるかわからないし…失敗もあるかもしれないから、何枚でも撮っておかないとね」
角度を調整しながら、何度もシャッターが押される。
やがてシャッターの音がカチっと小さく鳴るだけになると、管理人は残念そうにカメラを持っていた腕を下げた。
「フィルム、なくなっちゃったみたい」
「新しいものに、取り換えられないのか?」
「フィルムの取り換えは、特殊すぎてアンドレイじゃないとできないんだ。現像もしてもらいたいけど、明日からまた武陵に行かないといけないし…」
諦めたように言う管理人に、ウルフガードは手を伸ばすと、カメラを持つ管理人の手に触れた。
「俺が代わりに行ってくる」
真っ直ぐに見つめてくるウルフガードに、管理人は小さく息を呑んだ。
しかしすぐに口元に柔らかさを滲ませて、小さく首を横に振る。
「ううん…ここに帰ってくるための楽しみってことにしておく。自分で行かないと、意味がないから。それにまた、君とここで写真を見たいしね」
そう言って、管理人は一瞬だけ目を伏せた。
けれどすぐに顔を上げ、改めてプロジェクターを見る。
そこには、自分の知らない自分がいる。 誰かに見られていた自分。誰かの手で残された自分。
その写真を見つめながら、管理人はウルフガードの肩にそっと頭を預けた。
「…そうか。なら、またここで写真を見る約束をしておこう」
ウルフガードは触れていた管理人の手を緩く握り、プロジェクターへ視線を向けた。 写真はそのまま切り替わらず、ただ画面に映っているだけだった。
いつかわからない最期の日まで、君との時間をひとつずつ残していく。
たとえいつか、君自身がそれを見られなくなったとしても。